何でこんな場所に!?
ヒューマンズウェルから東に直線距離にしてわずか100m、白川の小道から、ちょっと横道に入った場所に明智光秀の首塚があります。
1582年の戦国時代の末期京都の本能寺において、ほぼ天下を手中に収めた織田信長を謀反により自害へ追い込んだのが家臣の明智光秀でした。
変後、もう一人の有力織田家家臣である羽柴秀吉と山崎の合戦において無念の敗北を喫し、自身の居城であった近江坂本城に戻る途中の山科小栗栖(おぐるす)の竹藪で落ち武者狩りの竹槍に脇腹を突かれ自害したそうです。
その際光秀の遺言により、自身の「首を知恩院に持参せよ」と命を受けた家臣がこの地に首を埋めたことから「首塚」として現在に至っています。